20世紀最高の時計デザイナー、ジェラルド・ジェンタという天才。2011/09/28 06:56

2001年のジェラルド・ジェンタ氏。撮影用の機材とセットに興味津々だった

時計愛好家の方にはいまさら、かもしれないニュースだが、20世紀最高の時計デザイナー、ジェラルド・ジェンタ氏が去る8月17日にこの世を去った。享年80歳。尊敬する偉人であり、幸運にも幾度かご本人にインタビューさせて頂き、また工房も取材させて頂いたひとりとして、僕が見たジェンタ氏のことを書いておきたい。 彼のクリエーションは今振り返っても驚異的な量と質で、まさに天才という言葉がピッタリだ。オーデマ ピゲの「ロイヤル オーク」を筆頭に、フリーランスデザイナー時代の作品は、パテック フィリップの「ノーチラス」「ゴールデン エリプス」、IWCの「インヂュニア」や「ダ・ヴィンチ(先代)」、オメガの「コンステレーション」やカルティエの「パシャ」、ブルガリの「ブルガリ ブルガリ」等々。どれも時計デザイン史に残る傑作ばかり。セイコーの「クレドール」のファーストモデルも彼の基本デザインだし、実際にどのくらいあるのか膨大過ぎて正直なところ、わからないのではないか。1969年に自身の名を冠した時計ブランドを立ち上げてからも、「オクト」「サファリ」を筆頭に、ひと目見るだけでジェンタと分かる名作揃い。1996年に彼は自身のブランドを売却したが、彼の基本デザインはブランドがブルガリの1コレクションに組み入れられた今も強烈なオーラを放ち続け、少しも色褪せない。 僕が最初に彼の世界に触れたのは確か、GoodsPress編集部でバーゼルフェア取材2年目の1996年。空き時間にジェラルド・ジェンタのブースを飛び込みで訪ねたときだ。 この時は「今年はもうフェアを去った」とのことで、残念ながらジェンタ氏ご本人には会えなかったが、ブースの担当者は快く僕を招き入れ、完成したばかりだという、ミッキーマウス「ファンタジア」の中の“魔法使いの弟子”の話をテーマにした宝石や貴石を散りばめた「からくり時計」を動かして見せてくれた。同じジェンタのミッキーマウスを文字盤に使った有名なレトログラード&ジャンピングアワー表示機構を持つ腕時計「レトロ・ファンタジー」と違い機械式ではなく電動のテーブルクロックだが、ミッキーと魔法をかけられたほうきが踊る。だが、まだ完成度が充分ではなかったようで、デモンストレーション中に、最初は普通の速度で動いていたミッキーとほうきのスピード、そして音楽が早送りでクレージーなスピードで踊ってしまうというハプニングが起きた。このときはビデオカメラを偶然回していて、あとで編集部でその映像が大ウケした。今思えば、ちょうどこの時点で、シンガポールの世界的な時計販売会社・アワーグラスに会社が売却されていたのだ。 その2年後か3年後には、ジュネーブサロンとバーゼルフェアの前後にヴァレ・ド・ジュウ、オーデマ ピゲ本社の通りにあった、現在は確かオーデマ ピゲのものになっている複雑時計工房を取材した。 こぢんまりとした昔ながらの時計工房らしい一棟だったが、設計製造や時計師の組み立て工房はとても整然と美しく、和やかな雰囲気も素晴らしかった。スタッフは、現在はフランク・ミュラーの超複雑モデルの開発にも関わっている伝説的時計師ピエール・ミッシェル・ゴレイ氏を含め全部で十数名。工作機械も日本製の放電加工機など充実しており、地板から複雑な形状のレバーやカムまで、ほぼすべてを工房内で製造する体制が整っていた。ここは当時としては間違いなくトップクラスの工房であり、今考えても僕が取材したことのある工房の中でベスト3に入る。 「モナコからFAXでジェンタ氏から送られてくるデザインスケッチをベースに、私たちがメカニズムを考えてムーブメントをゼロから設計・開発・製造して製品化するんだよ」と、ヴァレ・ド・ジュウ伝説の時計一族のひとりであるゴレイ氏が上機嫌で語ってくれたのをはっきりと覚えている。氏がかつてジュネーブのオペラ座の専属歌手だったという、時計界では知る人ぞ知るエピソードを、遅まきながら初めて聞いたのもこのときだった。 1980年代以前からという、デザインをジェンタ氏、設計・開発・製造をゴレイ氏という2人のタッグは間違いなく当時のスイス時計界最強で、1994年には「グランソヌリ」という複雑時計の最高峰モデルをはじめ、現在の機械式複雑時計全盛時代の扉を拓いた数々の傑作を世に送り出している。「ジェラルド・ジェンタ」をデザイン&メカニズムで独自性と先進性を兼ね備えた、1990年代に最も尊敬すべき時計ブランドにしていたのは、まさにこの二人の友情と信頼だったのだと、今でも思う。しかしブランド売却とその後の時計工房移転でこのタッグは解消、スタッフも解散することになる。 その翌年だったか、ヴァレ・ド・ジュウの時計工房に続いて僕は、ジュネーブ市内にあった文字盤工房も取材している。そこでは、他のブランドに先駆けて天然石を使った文字盤や、カスタムメイドの文字盤作りが行われていた。そこに飾られたDOXA(ドクサ)という時計ブランドの古いポスターは、ジェンタ氏の父と関連があるものだという話もそこで聞いた。 さらに翌年か翌々年には、モナコにあるジェンタ氏のアトリエを訪ねることになっていた。だが直前に残念ながらキャンセルされ、ついに訪れることはできなかった。 そして僕がジェラルド・ジェンタご本人にしっかりインタビューできたのは2001年、彼がアワーグラス、さらにブルガリ傘下となった自分のブランドを離れて、クリスチャンネームである「ジェラルド・チャールズ」名義の時計ブランドを立ち上げたときだった。 ご本人は終始にこやかに笑っていたのだが、マネジメントを担当している同席の奥様のアワーグラス&ブルガリに対する強烈な対抗意識が印象に残っている。1,2年後、このブランドが日本に上陸することになり、ジェンタ夫妻には日本で再会したが、お目にかかれたのはその時が最後となった。 ジェラルド・ジェンタ氏は生粋のアーティストであり、文字通り“20世紀最高の時計デザイナー”だった。氏が創造した基本デザインがさまざまな名門ブランドで製品として生き続け、さらにご本人はどう感じていたかはともかく、自身の名を冠したブランドが、ブルガリという確固たるラグジュアリーブランドの1ラインとして、今も発展し生き続けているのは、そのクリエーションがとてつもなく偉大だからに他ならない。 そんな正真正銘の天才と接点が持てたことは、時計ライターとして何よりも幸福なことだった。 心から感謝を捧げ、ご冥福をお祈りするばかりだ。

リストコンピュータと超人願望の黄昏について考える。2011/09/01 13:26

今年のバーゼルフェアでhD3が発表したリストコンピュータウォッチ「SLYDE(スライド)」。歯車も数字もぜんぶ画像です。

携帯情報機器の世界で幾度も開発・発売されるのだけれど、発売されるたびにモノ情報誌が採り上げ、ボクのようなモノ好きのライター、編集者が記事を書く。それでも絶対にメジャーにならない、なれないアイテムがある。それが腕時計型の携帯情報機器、いわゆるリストコンピュータだ。国内メーカーならセイコー、カシオ、シチズン、エプソン。海外メーカーではタイメックス等々。そして、コンセプトではあるがマイクロソフト。1970年代から何度も製品化されている。エプソンの「クロノビット」をはじめ、いくつかはボクも持っている。でも、決してメジャーなアイテムにはなれなかったし、おそらく未来もなることはないだろう。 そのほぼすべてが、間違いなく開発エンジニア自身の情熱から生まれたものだ。売れた実績はないが、企画者がこの種のもの大好きで、「自分も作りたい」と熱望して、がんばって企画を通したに違いない。そう思えるものばかり。 でもなぜ、リストコンピュータはメジャーになれないのか。理由は手に入れて、着けてみれば分かる。今のインターフェース、何よりも腕時計の文字盤サイズのディスプレイでは、情報が読み取りにくくて仕方がないからだ。どんなに贔屓目に見ても、実用的ではない。ガジェットに過ぎないのである。 ケータイも通話がメインの時代は、特に海外には手のひらに収まる超コンパクトなモデルがあった。日本でもドコモが発売していた。しかし、メールやiモードなど情報のブラウジングが通話同様にメインの機能になると、姿を消した。 スマートフォンの時代になった今は特にそうだが、大きな画面、持ちやすく見やすいサイズでないと、使いにくくて仕方がないからだ。

でもそれなのに、ある種の男はなぜ「リストコンピュータ」に惹かれるのか。 それは、着けると超人になれる、サイボーグに変身するためのアイテムだから。ボクはそう思っている。 「超人になりたい」「あるアイテムを身に着けたり手に入れることで超人になれるんじゃないか」という感覚、いわゆる超人願望は、昔から人間を虜にしてきたものではあるが、産業革命以降、特に20世紀に入ってから、文明を牽引してきた大きなエネルギーだった。 人間の力では不可能な超高速で移動できる飛行機やクルマや電車は、そんな超人願望を叶えた夢のアイテムとして登場した。あるアイテムを身体と一体化させることで行うサイボーグ超人への変身は、この飛行機やクルマの先にある、究極の夢のひとつだったのだ。 でも今、ボクらの超人願望は、急速にしぼんでしまった。リストコンピュータに自分が昔ほど魅力を感じないのは、超人願望という夢が、昔のように魅力的には思えないからであることは 間違いない。ボクらはひとつの大きな曲がり角を曲がったのだろう。 かつて社会全体に存在した、サイボーグ的な超人願望はもはや黄昏れてしまったのだ。 スポーツカーが一部の人にしか売れないのも、クルマなんて要らないという若者が多いのも、だから必然なのだ。 でも子どもたちはやっぱり、戦隊モノのヒーローやヒロイン、仮面ライダー、プリキュアというカタチで、そんな超人願望を抱いている。 とはいえ、ボクら大人ほどではないかもしれない。 だって、今の戦隊モノのヒーローやヒロイン、仮面ライダーだって、その超人的な能力のおかげで悩んで苦しんでばかりだから。かつてほど、絶対的に強くもないしね。

ところで、リストコンピュータにまったく未来がないかというと、実はそうでもない。もしウイリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』のように、人間の脳や神経回路と直結して、目の網膜を経由せずに脳内に情報を表示するような技術ができれば、リストコンピュータは、誰もが使うアイテムになるのかも。うーん、でも確信は持てないなぁ。着けるの忘れちゃいそうだし。

2011年スイス2大時計フェアレポート総括 トレンド編2011/08/31 16:31

グッチの「クーペ」。こんなレトロモデルも出てきました。

(これは2011年の1月、3月に開催されたスイス時計フェアに関するファッション業界誌「WWD Japan(ウイメンズ・ウエア・デイリー・ジャパン INFASパブリケーションズ発行)」掲載記事のベースとなった取材ノートの一部です。詳細をお読みになりたい方は同誌の5/16号 VOL.1633の「時計特集2011 スイス2大時計フェア:S.I.H.H. & BASELWORLD 総括『ルイ・ヴィトン』の“本気”は脅威になるか」をバックナンバーでご購入ください)

今年の時計界のトレンドは(1)ニューエイジ・レトロ(2)薄型シンプル(3)アフォーダブル&リーズナブルの3つだ。

1月のジュネーブサロン、3月のバーゼルフェアを通じて今年の新作腕時計に共通するトレンドは、ひとことで言えば「スイス時計の黄金時代・再発見」。具体的にはスイス製の機械式腕時計が技術力でもスタイルでも世界を席巻した1950年代のスタイルを、現代的な感覚で懐かしめにリファインしたというもの。また良心的な価格設定も大きなトレンドだ。

01 ニューエイジ・レトロ) 1950年代スタイルの再発見

 スイス2大時計フェアで今年、最も目立ったトレンドは、“見た目のインパクトよりもバランスの取れた美しさ”が印象的な1950年代に製造されたアンティークモデルをモチーフにした「レトロテイスト」なデザイン。過去の傑作のエッセンスを抽出して生まれた「控え目で上品」なキャラクターが、アンティークを知らない人にも、音楽のオールディーズのように「懐かしいけれど、好ましい」と感じさせさせる。

02 薄型&シンプル

薄型シンプルウォッチの再評価

 薄型で針が2本、ないし3本で機能もデザインもミニマムなモデルはこれまで、一部の時計愛好家にしか評価されないものだった。だがここ数年、クラシックなこの種のモデルの素晴らしさに気付く人が増え、秘かなトレンドに。そして今年は老舗&頂点ブランドが、この種の新作を“看板モデル”として発表している。

03 アフォーダブル&リーズナブル)

消費者もビックリの“お手頃価格”

 2008年までのスイス時計界は明らかにバブル。その何よりの証拠が、同じ内容のモデルでも毎年、パーツ等の価格高騰を理由に値上げされた。しかし2009年以降、状況は大きく変わった。  できるだけ消費者がアクセスしやすいお手頃価格のモデル、同じ価格でもスペックアップを図り実質的な値下げとも思えるモデルを各社が用意するようになった。そして今年、消費者にとってうれしいことに、その傾向はさらに強まった。30万円前後で魅力的なものが出てきたのはうれしい。

この週末、高円寺は阿波踊り!2011/08/28 06:39

舞台で見ると、踊りや音曲がよくわかります。

この土日、高円寺は阿波踊り一色になる。今年は「座・高円寺」で踊り開催前に行われたパブリックビューイング(有料)を見に行った。解説付きで席に座って見るのは、ウチのような乳幼児の居る家庭にはオススメ。通りで見ようとしても、ベビーカーでは踊りに近づけないから。その後、街へ出て賑やかな雰囲気を楽しんだ。商店街はお祭り状態で、屋台もいっぱい出るからだ。ただ、節電という理由で開催時間が昼間になって、気分はいまひとつ。娘が「音がうるさい」ってぼやいておりました。

2011年スイス2大時計フェアレポート バーゼルフェア編2011/08/28 06:21

何故か鉄骨のフレームが!

(これは2011年の1月、3月に開催されたスイス時計フェアに関するファッション業界誌「WWD Japan(ウイメンズ・ウエア・デイリー・ジャパン INFASパブリケーションズ発行)」掲載記事のベースとなった取材ノートの一部です。詳細をお読みになりたい方は同誌の5/16号 VOL.1633の「時計特集2011 スイス2大時計フェア:S.I.H.H. & BASELWORLD 総括『ルイ・ヴィトン』の“本気”は脅威になるか」をバックナンバーでご購入ください)

リーマンショック前の好景気再び! 落ち着きと自信を取り戻したスイス時計業界

フェアに先駆けて3月9日にスイス時計協会(FH)が発表した2010年のスイス時計産業の総輸出額は、前年比プラス22.1%の約162億スイスフラン(約1兆4,580億円※1スイスフラン=90円換算)。第4四半期にリーマンショックに見舞われながらも過去最高を記録した2008年の約170億スイスフラン(約1兆5,300億円)には及ばないものの、2007年の約160億スイスフラン(約1兆4,400億円)を記録した。不況から一転、好景気に突入したといっていい。この数字の通りに各国からの来場者で賑わい、関係者の表情や話しぶりには未来への自信が溢れていた。  印象的だったのは、取材した時計メーカーのCEOやプロダクトマネージャーが好景気なのに、今後の見通しに非常に慎重だったこと。急成長が続き業績好調の牽引車である中国市場への期待も控え目な発言の人が多かったこと。また、名門、老舗を問わず多くのウォッチブランドの新製品に過去の名作をデザインモチーフにしたレトロなデザインで、リーズナブルな価格で高品質なものが多かったこと。 ところで、今年の最大のトレンドは「クラシック=伝統的」を超えた「ニューエイジ・レトロ=新複古調」。具体的には、目の肥えた時計愛好家の間でスイスの機械式時計の黄金時代と言われる1950年代から60年代前後のものをデザインの基本モチーフに、現代的なリファインを施したモデルだ。復古調のモデルは1990年代に世界的な機械式時計ブームが起きて以来毎年のように作られてきたが、そのほとんどはコレクター向けに企画されたものだった。ところが今年のバーゼルフェアでは、復古調のモデルがコレクターではなく明らかに一般の消費者をターゲットに登場している。コレクター向けの場合は少々クセがあるデザイン、メカニズムが売りだったが、今年の復古調はシンプルな中3針モデルやクロノグラフが中心になっている。その上、価格設定も非常に良心的。しかもディテールの完成度や仕上げも抜群だ。  こうした商品企画が主流になった理由を開発担当者に尋ねると、世界的に消費者の「時計を見る目」が肥えたためだという答えが返ってきた。今は、ブランドならではの腕時計であることが大事。ブランドはブランドらしくしないと消費者に選んでもらえない。その方向を追求すると、過去の引き出しを開けて名作に学ぶことになる。すると新製品は必然的にレトロテイストなデザインになるのだという。確かに今、高級腕時計、特に機械式のモデルに人々が求めているのは「未来的」であることよりも「古き良き過去を彷彿させるもの」「時代を超えても愛せるもの」であることなのは間違いない。その結果がこの「ニューエイジ・レトロ」ブームなのだろう。とはいえ今年の新作モデルは「ニューエイジ・レトロ」なものばかりではない。シリコン素材のヒゲゼンマイやアンクルを使ったコーアクシャル脱進機を採用する新世代のクロノグラフムーブメントを搭載し、4年の品質保証を付けたオメガの新作ダイバーズや、機械式で1/1000秒計測を実現したタグ・ホイヤーのコンセプトモデル、これまでにないメカニズムの複雑機構の開発など、技術的な革新や挑戦もますます盛ん。そしてこうした先進的なモデルでも、価格設定は今や、びっくりするぐらいに良心的だ。これは文句なく歓迎である。 なお、今年のバーゼルフェアで最大のトピックは、世界トップのラグジュアリーブランド「ルイ・ヴィトン」の正式出展。その本気ぶりはプレスリリースの「時計業界で確固たる地位を占める」という文言と、初のミニッツリピーターモデルを始め、かつてない数の新作モデルが物語る。フェア直前に事実上の買収が決定したブルガリも含め、同グループが時計界でスウォッチ、リシュモンと肩を並べる存在になる日は近い。